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サイト運営者プロフィール

サイトにお越しいただき、ありがとうございます!

管理人のちえみです。

私は2社の企業デザイナーを経て、現在はフリーランスデザイナーとして
在宅で活動をしていますが

  • なぜデザイナーになろうと思ったのか
  • どんな思いでデザイン作成をしているのか

など、デザイナーになった経緯について、自己紹介を交えながらお伝えしていきます。

デザイナーちえみの基本情報

名前:ちえみ
出身:岐阜県西濃地方
職業:グラフィックデザイナー
生年月日:1986年8月12日

〈経歴〉

  • 大垣女子短期大学デザイン美術科 卒業
  • 総合印刷会社にてDTPオペレーターとして6年勤務
  • OA機器商社にて営業事務・販促デザイナー・ショールームスタッフとして8年半勤務
  • 2023年よりフリーランスデザイナーとして活動開始
    バナー制作やSNS運用代行などを中心に“集客できるデザインを提供

経歴だけを見るとデザイナーとして順風満帆そうに感じますが、実際はいろんなことに紆余曲折しながら現在に至っています。

どんな人生を送ってきたのかを赤裸々につづっていますので、良ければ下記をご覧ください!

幼少期:身体は大きいけど気は小さい陰キャ

私は岐阜県の西濃地方に生まれ、父、母、兄と4人で暮らしていました。

生まれた時は標準的だったのですが、物心ついた時にはかなり大きなおデブちゃんに成長。

見た目はかなり威圧的な大きさになったのですが、性格は真逆の引っ込み思案のネガティブ思考で、親戚に対しても常に人見知りを発揮するほどでした。

自身の体型と大人しすぎる性格のせいで学生時代は周りからの言動に傷つくことが多く、小学生の時にはプチ登校拒否をして親に心配をかけたこともあります。

この頃からマンガやアニメが大好きで、自分でもイラストやマンガをひっそりと描いて楽しんだり、漫画家になりたいな〜と夢に見ていました。

漫画家以外にも料理に興味を持っていたので、将来は絵を描く仕事かパティシエになりたいと思って高校の進路も考えていたのですが、その夢は親によって一瞬で閉ざされます。

実は父がかなりの放蕩人で、スグに仕事を辞めたりギャンブルにお金を使ったりしていたので家計は余裕がありませんでした。

母は結婚当初からかなり大変な思いをしていたようで、私が中学生くらいの時には精神的に限界が来ていたのかずっとヒステリック状態。

そんな家計に余裕がない状況を知らず、私は成功するかも分からない夢のために、費用のかかる進学先を伝えたため、「そんなくだらない夢のためにお金など出せない」と言われてしまったのです。

兄の時には兄の希望通りの学校に進学させていたのに、なぜ私は好きなところに行けないのか?と納得がいきませんでしたが、まだ自分の力では何もできない子どもだったので、親に従うしかありませんでした。

私はこの出来事をキッカケに、

自分は夢なんて持っても意味がない。親が希望する進路しか選べない人生なんだ。

と、自分の身の丈に合わない夢を持つことを諦めるようになりました。

高校時代:大学受験で親に刃向かい、勝つ

夢を諦めて普通科の高校へと進学しましたが、そこでも陰キャぶりは変わらず、クラス上位のギャル女子たちにからかわれたり疎まれる日々でした。

クラス全体がギャルたち陽キャ集団のノリに包まれるのが苦痛だったので、「陽キャと離れられる」「苦手な英語の履修時間が少ない」という理由で理系クラスに進みました。

何とも幼稚な理由で文理選択をしましたが、今思うと自分にとって良い選択をしたと感じています。

理系クラスにも明るい人たちはいましたが、文系の陽キャ集団ほどはっちゃけたり他人をイジメるなんてことが無く、子どもながらに「やるべきことはやる」「分け隔てなく全員と協調する」という大人社会に近い世界でした。

こういう環境が自分にはストレスなく過ごせましたし、同時に

自分に心地いい環境を選ぶこともできるんだ!

と思わせてくれました。

そんな心地よい理系クラスで2年過ごしたお陰で、高校生活は楽しく過ごせました。

が、高校卒業後の進路を決める時期に差し掛かった時にまた親と一悶着。

この時も変わらず家計は苦しかったので、親は「公務員になりなさい」の1択を主張。

ここでも私は、兄は私立大学に通わせたのに、なぜ私は就職しないといけないのか?と疑問に思いました。ただ中学時代と違ったのは、ここで納得して折れなかったこと。

自分で理系クラスを選択し、心地よい環境を手に入れられた経験をしたことで、

私だって自分のことは自分で選びたい!

この思いが強くなり、親の主張を押し切って、小さい頃からの趣味であった漫画やイラストが学べる私立の短大に入学させてもらいました。

そうして私は再び「漫画やイラストを仕事にしたい」という夢を呼び起こしてきたのです。

短大時代:上には上がいると思い知らされた

短大では、自分と同じように漫画やイラストが好きな人ばかりで、性格も大人しいタイプが多かったので、人間関係にはあまり困らなかった気がします。

授業もデザイン関係の実技メインで楽しいものが多かったのですが、制作をするたびに周りを見て思ったのが、

自分と同レベルの実力者はたくさんいるし、自分より上の人もたくさんいる。

ということ。

今までは周りに同じ趣味の人間があまりおらず、自分より上手くイラストが描ける人間もいなかったので、自分の実力がどの程度なのかなんて考えることもありませんでした。

短大に行って周りを知ったことで、「自分程度の実力では漫画家になんてなれるわけない」と現実を見せつけられ、改めて夢は夢だったと思って諦めました。

夢を諦めた後は他にやりたいことも希望する働き方もなかったので、就職活動では業界にこだわらず、色々な会社にエントリーをしました。

就活途中に短大で教授との就活面談みたいなものがあったのですが、そこで地元の印刷会社を熱烈に勧められ、そこまで勧められるならと応募したところ、トントン拍子に進んで見事内定。

そうして思いがけずデザインに関わる業界に足を突っ込むこととなりました。

新卒時代:自分の限界と働きたい環境を知った

印刷会社ではチラシ作成の部署に配属されたのですが、そこは中々キツイ部署で、繁忙期になると毎日朝8時から夜中の2時近くまで働かないと仕事が回らないようなところだったのです。

そして閑散期は閑散期で忙しい他部署に駆り出されて残業することもあったりと、定時で帰ることが少なく、仕事と家を往復するだけの自分の時間が取れない日々を過ごしていました。

勤務体制はキツかったのですが、仕事内容はチラシのデザインをディレクターの指示通りに組み上げるというもので、デザインセンスに関係なく誰でもできたので割と楽しく作業でき、やり甲斐もありました。

しかし、

  • ストレス過多のせいか、生理のたびに嘔吐・激しい腹痛・貧血が毎回起こる
  • 繁忙期の忙しさに体が悲鳴をあげ、過労で倒れる
  • 社内恋愛のイザコザに巻き込まれて人間不信と鬱になりかける
  • 良くも悪くも毎年体重が減少していく

年齢を重ねるごとに身体の不調が増えてきて、過労で倒れた時にようやく

あ、これは自分に合ってない。ここで働き続けたら完全に壊れるな。

と気づき、退職をしました。

この1社目を経験したことで、自分が仕事において何を重視したいか?を考えられるようになったと思います。

また、これまではネガティブ思考で人に嫌われないように控えめに生きてきたのですが、どう生きても人に嫌われることもあると体感し、2社目からは変に取り繕わずにいこうと決めました。

自分の中で重視したかったのは次の2点。

  • 基本的に定時で終われる
  • デザイン以外の職種

今まで激務すぎてプライベートの時間が全くなかったので、まずはとにかく自分の時間が確保できるところに行きたいと思いました。

そしてデザインの仕事はどの会社に行っても激務だと分かっていたし他の職種もやってみたかったので、デザイン以外の職種に目を向けて次の職場を探して行きました。

そうして条件に合った会社に採用され、2社目での勤務がスタートしました。

アラサー時代:販促デザインとマルチタスクをこなす2社目

2社目はOA機器の代理店商社。

はじめはこの会社の事務として応募したのですが、私の経歴を見て「こっちの業務をお願いしたい」と言われ、ショールームスタッフとして採用されました。

ショールームスタッフと言われたので、てっきり商品紹介などの接客業務だと思っていたのですが、入ってみたら接客・営業企画・社内販促物や資料のデザイン業務が待ち受けていて、結局またデザインをすることになったのです。

ですが、前職と違って閑散期に他部署を応援しに行くこともなければ繁忙期の残業もそこまで多くなく、プライベートをしっかり確保できたのでデザイン業務があっても満足でした。

こちらの会社でのデザイン業務は印刷会社の時と違い、どうやったら顧客に響くのか?を自分で全て考えて作成しなくてはいけなく、今まで指示通りに動けばよかった時のような楽さは無くなり、様々な知識や経験が必要とされました。

それにデザイン業務だけでなく、顧客と話をしたり営業から頼まれた資料作成や機器操作の検証をしたりと、もはや社内の「何でも屋」として働くようなポジションだったので、常にマルチタスクをこなしていました。

このOA機器商社で勤務したことで、私は0→1を生み出すにはセンスじゃなく知識が必要なこと、顧客目線でデザインする重要性、自分で考えて仕事をしていく大切さなどを実感し、今後の働き方にも活かしたいと考えるようになりました。

そして社内の何でも屋として働き続けたことで、功績を認められて主任職に就き、後輩指導や部署内のまとめ役として順調にステップアップして行きました。

36歳〜現在:出産を機に働き方を見つめ直す

仕事の順調さに引っ張られたのか、34歳の時に気の合うパートナーとスピード結婚、その数ヶ月後に懐妊とプライベートも右肩上がりに。

その後の仕事については夫と相談し、退職はせずに育休をとって時短社員としての復職を選択しました。

保育園の途中入園ができなかったので、1年半の育休を取って年度はじめから復職しましたが、復帰2日目にして早速保育園から呼び出され、その後も2週に1度は子どもの体調不良で早退・休暇を繰り返す日々。

また早いタイミングで第2子を妊娠し、自身の体調不良もあってまともに働くことができず、職場に迷惑をかけてばかりの自分にイライラしていました。

それと同時に、

私は必要とされているんだろうか?必死になってここで働く意味はあるのだろうか?

と考えるようになりました。

その後もなんとか働き続けていましたが、妊娠4ヶ月で死産をしてしまい、私は約2ヶ月の産後休暇を取ることに。

時間に追われ毎日疲れ切っていた復職後と変わり、時間にゆとりが出て子どもとも関われるようになった事で、子どもは嬉しそうに甘えるようになりました。

そんな子どもの姿を見たことで、

仕事を優先するあまり、子どもとの時間が取れてなさすぎたんじゃないか。

無理に仕事に行かず、もっと身体を大事にするべきだったのではないか。

と、今までの働き方や家族との関わり方について悔やみ、今の自分や家族に合った働き方を考えるようになったのです。

そんな時、フリーランスデザイナーとして活躍している前職の先輩から1つの連絡が来ました。

“在宅でできるデザインの仕事があるんだけど、やってみない?”

この連絡をきっかけに私は在宅ワークという働き方を知り、どんな仕事があるのか調べるようになりました。

先輩から振ってもらった仕事をこなすことで在宅ワークへの理解も深まりました。

  • ほとんどが裁量業務なので、勤務時間の調節ができる。
  • 働きたい人や仕事内容を自分で選べる。
  • ママでも勤務時間が短くても、スキル次第でやり甲斐のある仕事を任せてもらえる。

これらはまさに今の自分が求めている働き方だと感じられました。

そして思い切って会社を退職し、これからはフリーランスデザイナーとして働く!と決意したのです。

あなたはどんな人生を選ぶ?

私と同じように、自分の生活スタイルに合った働き方を考えて「在宅ワーク」という道を選ぶ人は多いはず。

そして中には「自分には特別なスキルがない」「どんな仕事をして良いかわからない」と在宅で働きたくても踏み出せない人もいると思います。

そんなモヤモヤを抱えている方に、私が今までデザイナーとして培ってきた経験やスキルをブログでお届けし、スキルを得て共にのびのびと自分らしく頑張っていける人を増やしていきたいと考えました。

webデザインに興味はありませんか?そして、デザインはセンスのある人や、何ヶ月も時間をかけて勉強しないと出来ないから無理だと思っていませんか?

実はポイントを押さえていけば、誰にでも世に出せるデザインを作れるようになります!

時間的にも金銭的にもスクールに通う余裕がない。独学ではうまく学べない。でもwebデザイナーに憧れがある。

そんなあなたは、ぜひこのブログを見てください。

1つずつ丁寧に、必要なものだけをピックアップして、短時間で効率的にスキルが身につくようにサポートして行きます。

一緒に、デザイナーとして活躍していきましょう!